<大変だった年>
東日本大震災から12年。早いものです。
人生の中で大変だった年は、
長女の病気の関係で
1位 2022年(この年の病気は今後書きます)
2年 2021年
ですが、もしベスト5まで上げるとすれば、
東日本大震災のあった、2011年は
ベスト4か5には入ってくるでしょう。
<電車がゆりかごに>
地震があった日、私は神奈川県川崎市に向かうため、
横須賀線に乗っていました。
まもなく、降りる駅に到着するなぁと思っていたら、
電車が急に止まり、ゆりかごのようにゆらゆらと揺れました。
「人身事故か、いやだなぁ」と思いました。
止まった電車は全く動く気配がなく、
1時間以上止まったままで、
電車のアナウンスもほとんどなかったので、
乗客は皆、なぜ電車が止まったのか理解できない状況。
その後、大地震が起こり、電車がこれ以上動けないので、
線路を歩いて、次の駅まで歩くようアナウンスが流れました。
線路を歩くのは当然初めてですが、
歩くように舗装されていないので、
非常に歩きづらかったです。
駅に着いた後、家庭教師先の家に向かい、
停電中の中、ろうそくを付けて指導しました。
が、当然そんなに集中して指導できず。
寒くて暗い中、うどんを食べながら、
電車が動くようになるのを待ちました。
タクシーも全く予約できない状況。
結局電車が動き始めたのは、午後11時過ぎ。
東急東横線に乗り、(渋谷駅は大混雑)
銀座のホテルに着いたのは夜中の1時過ぎ。
3月12日は妹の結婚式で、そのホテルに何とかギリギリ到着できたのでした。
<まるで戦時中のような計画停電>
妹の結婚式は無事終わったのですが、
それからも大変な日々が続きました。
私の居住地は、計画停電の地域だったからです。
計画停電の時間になると、
プシューと音がして、電気やこたつが消えてしまいます。
まだ3月で寒い。
一人暮らしの家で暗い中いるのはつらいから、
外に出ると、外には同じように考えた人が
あてどもなくさまよっていました。
コンビニに行くと、真っ暗で、
ありとあらゆる保存食や、食料品がなくなっており、
店員さんが心もとなげに一人でレジに立っていました。
まるで戦時中の灯火管制のようだと思いました。
<大震災は再び来る・・・>
私は小6で阪神大震災を、
そして28歳で東日本大震災を経験しました。
30になるまでに2回も大震災を経験したので、
人生が80年としたら、
死ぬまでに大震災をまた経験するのではないかと思ってしまいます。
特に津波は怖い。
南海トラフなんて起きなければいいのですが、、、